2023-04-12

千葉県立関宿城博物館を見学。流山を再発見。

流山市に住んで早30年。それでも近隣で行ってないところは多々あります。

最近圏央道を五霞I.C.で降りて流山まで流山街道をまったりと走ることがあり、そういえば関宿城博物館は行ってないなあということで先日行って来た。

関宿城博物館について事前の知識は皆無で、野田市の北端つまり千葉県の最北端にあり、昔関宿という町があり野田市と合併した、関宿城のあたりで利根川と江戸川に分かれる。ぐらいしか知らなかった。城なんだから城に関する展示ばかりだと思っていたが大違い。

県立なんだ!

まず意外だったのは、野田市立ではなく千葉県立の施設だったということ。県としての位置付けとして、重要だからということなんでしょうか?建設にお金がかかり、維持にも野田市レベルでは管理できないということなんでしょうか?ここの職員となって勤務する人は県の最北端という場所でいろいろ考えないのかなあなんて余計なことも考えてしまった。

こりゃ土木に関する展示だ!

入館して順路に沿って回ってみたが、まずは洪水との戦いとしての治水に関する展示が続く。

元土木技術者としては、江戸時代に行われていた治水工事がよく分かるのでおもしろかった。河川を専門にする土木フリークにおすすめです。基本的な考え方は現代に通じるものがあるわけです。玄関前にも展示されていたが、竹で編んだ大きな籠の中に岩を入れて川の中に設置する工法なんて竹が鉄に代わっただけじゃん、すごい何てえ感動もする。

近代になって使用された重機の写真や説明もあって興味深々。

江戸時代は利根川から江戸川の水運であったのだ!

我が流山市の利根運河建設に関する展示もあります。流山はかつて水運で栄えていたらしい。鉄道の無い時代、陸路を行くよりも河川で銚子から江戸に荷物を運ぶ方が楽だったわけですね。そこで江戸時代に水路を掘って今の江戸川を形成させた。

荷物を中継するための船着場として賑わった街の模型もあって分かりやすかったです。地図には加村と記載されてるのを見ると、加に住んでるものとして何か誇らしくも感じましたよ。

さらに、利根川と江戸川に分かれる地点まで川を遡らなくても済むように利根運河が造られた。利根運河を客船も運行されていたらしい。展示があるけど今の利根運河を走っていたらさぞかし壮観であろう大きさだったようだ。

関宿藩

水運で栄えた場所であり、まただから重要な場所でもあったはずであろう。博物館の周りは畑などが広がる、住宅も少ない風景になっているが、関宿藩の古地図を見ると藩士が500人でその家族や店などもあったであろう建物が立ち並んでる様子には驚く。お寺だけで20くらいあったらしいが今はほとんど残っていない。刀剣、火縄銃などの展示もある。その中で目を引いたのは蒔絵を施した漆器。ガラス越しに見る絵は見事。つまりそれだけの藩であったということだろう。

天守閣はこじんまり

再建された関宿城天守閣は4階建。下から見上げると小さいとは感じないが、最上階に上がってみると狭い。見張り台としてなら機能するだろうけど思いの外狭い。あいにく視界が良くなかったので富士山は見えなかったが周りに高い建物がないので360度一望にできます。

ちなみに最上階には望遠鏡というか、テレビ表示で遠くまで見ることができる機械が設置されていて、PayPayで支払いできるのが今どき。

おわりに

流山に住んでいて関宿まで行く機会というのはまずないでしょう。流山市民でも関宿城博物館で流山に関する歴史を歴史を学ぶ事ができます。利根川は当然すぐ近くで利根川を渡るとおもしろ道の駅もあります。流山街道をドライブして一度訪れてみてがいかがでしょうか。


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